「孫子」投資法の説明
☆☆☆どうして株式投資に兵法書である「孫子」が参考になるのか???☆☆☆



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《株式投資で損する理由》

 儲けるために必要なこと。それは、独自の情報網でも、投資技術でもありません。それは、全ての己の内の中にあります。

 株式投資というものは、値上りすれば儲かり、値下がりすれば損します。たった、これだけのことです。ですから、いつも損をする人は、買いと思ったときに売り、売りと思ったときに買えば良いのです。逆に動けば儲かるはずです。ところが、実際には、逆に動いても、必ず損をしています。それは何故でしょうか。ここに、株式投資で損する理が隠れているのです。

 どうして儲からずに、損ばかりするのか。それを紐解く鍵は、自分の投資履歴の中に隠されています。既に投資をしている人は、自分の投資履歴を、一つ、一つ確認してください。仕込み時の株価の位置と日経平均の位置、仕込んでから撤退するまでの期間、儲けと損の値幅、撤退した後の株価の動きを確認してください。どうです、何か見えませんか。例えば、仕込み時の株価の位置だけを見てください。ロウソク足と25日移動平均を表示してみて下さい。どうですか、儲かったときの銘柄と、損したときの銘柄では、共通点と相違点が見えてきませんか。もし、それらの点が見えてきたら、次からの仕込みに際しては、儲かったときの共通点を満たす銘柄のみを仕込みし、満たさない銘柄は仕込みしないことです。そうすれば、少なくとも、今よりは、成功率が高まるはずです。

 また、これからの仕込みに対しては、自分の心理的な状況を観察して下さい。仕込んだ後のそれぞれの段階で、自分はどのような心理的な状況におかれているのかを観察して下さい。大きくは、含み益、含み損があるとき、そしてそれを細分化して、ぞれぞれのレベルで観察してみて下さい。含み益が1万円あるとき、2万円あるとき、3万円、4万円・・・・・、同様に、含み損が1万円あるとき、2万円あるとき、3万円、4万円・・・・・。それぞれのときに、あなたはどのように思い、どのような行動に出るのでしょうか。どうです、わかりましたか。人は、株が上がった、下がった、で行動している訳ではなく、含み益がある、含み損がある、で行動しています。それぞれのレベルでのあなたの動きが、あなたを損に導いているのです。ですから、空売りをしたところで儲けられないのです。

 あなたの損は、仕込んだ銘柄が値下がりしたから生じたのではありません。値上りしたときや、値下がりしたときの処置の方法が拙いから生じたのです。いつも、自分は損ばかりしている人ほど、儲けられるようになるのは簡単です。あなたの拙い処置方法を、反対にすれば良いのです。そんなことが簡単にできるかと思われるかもしれませんが、簡単にはできません。簡単にできることなら、全ての投資家がマスターして、投資家としてのレベルが上がり、あなたが成功できる見込みはありません。簡単ではないから、やる意味があり、その報酬も大きくなるのです。

 株式投資で成功するためには、損する行動をとる自分自身に、打ち勝つことです。儲けようとしているのに、どうして損する行動となってしまうのか。それは、儲けようという強い欲望が、自分自身を儲けから遠ざけ、損する方へと導いてしまっているからです。「人が捨てるものを拾い、人が欲するものを与える。」という福祉とも、博愛とも似た精神が、株式投資で成功するには最も必要なことなのです。


《損を克服するために必要な「孫子」》

 以上のことを踏まえると、株式投資で失敗する最大の原因は、投資家自身の心理的弱点に負けてしまうということになるのではないかと、私は考えた訳です。

 しかし、上で述べられていることは、株式投資をしている方でしたら、みなさんが知っていることだと思います。私自身も、それまでに何度も聞かされたことです。しかし、知っていても損し続けてしまう自分がそこにいました。それは何故かと考え続けていたときに、パッと「孫子」の一文が閃いたのです。

 「 およそ、これら5つの条件について、聞いたことが無い者はいない。つまり、これらのことを、より深く理解している者が勝利を収め、理解していない者が勝利できないということなのである。」

 この一文は、孫子第一始計篇にあります。後に説明しますが、この一句は、戦争に勝つための条件について述べているところです。それまで、私は、この一文を注意深く読んでいませんでした。本当の理解という言葉の意味がわからずに、理解したと思い込んでいたのです。敗将は無能だと決め付け、「孫子」を真面目に読んでいなかっただけだと思っていたのです。ところが、株式投資を通じて、この一文の本当の意味に気付いたのです。より深く理解している者の本当の意味を理解することができたのです。 そして、再度、「孫子」を読み込んで、自分なりに理解したことは、つぎの通りになります。
 @ 知ることと、理解する(わかる)こととは違うということ。
 A 理解する(わかる)には、その度合いである深度があること。
 B 理解して(わかって)いても、実行できないことがあるということ。


 まず、知ることと、理解する(わかる)ことの違いですが、知るというのは知識として得ることであり、理解する(わかる)というのは、その知識を呑み込んで、応用することができることだと思います。ただ、知っただけでは何も生まれず、何にも役立てることはできませんが、理解した(わかった)となると、そこから世界が広がるのではないでしょうか。また、その世界の広がりが、理解する(わかる)ことに対する深度であり、より深く理解すれ(わかれ)ば、それだけ広い世界が見えてくるということだと思います。

 例えば、よく、数学が不得意な人は、「数学なんて何の役にも立たない。社会に出て役立つのは、足し算、掛け算くらいで十分だ。」と言います。これは、数学から得るものを、数字の問題としか捉えられていないからです。確かに、学校で教わった代数幾何や確率統計が、社会に出てから何の役に立つのかと具体的に聞かれれば、首を捻らざるを得ないこともしばしばあります。しかし、数学を学ぶことによって得た知識は、計算方法だけではないのです。計算方法を学ぶことを通じて、生活の各所で応用できる、判断方法を学んでいるのです。この応用ができてこそ、数学が理解した(わかった)というレベルにまで達したと言えるのです。また、この応用範囲の広がりが、理解した(わかった)ということの深度になるのです。 ところが80年代、日本の教育は詰込式だといって批判され、ゆとり教育の名の下で、日本人の無能化が図られました。教えられる数学のレベルが、大きく切り下げられたのです。これは、明らかに、現状を認識していない官僚達による愚策でした。詰込式でも、何でも良いのです。知っただけで終えてしまうのか、理解した(わかった)というレベルまで呑み込むのかは、本人の意思なのです。やる気なのです。そこまで深く考えるかどうかは、本人の問題なのであり、その機会を奪ってしまうことが、大きな問題なのです。

 表面上の知識以上を求めないというより、必要としていなかった日本という社会が問題だったということも否定できません。また、そのことを、未だに日本は気付いていません。多くの国民も、気付いていません。ですから、日本人は、自分で判断できないのです。これは、農耕民族の悲しい性と言えるでしょう。狩猟民族であった西洋人は、文化的に個人的判断を尊重します。と言うのも、狩猟は個人プレーが主であり、獲れなければ、飢えるのは自分だからです。自分の成果に対して、自分で責任を取らなければならないのです。ですから、個々人で、飢えないような努力をしなければならないのです。それに対して農耕民族は、集団で農作業をします。飢饉が起きても大丈夫なように、集団で食料を蓄え、集団で打開策を模索します。このため、個々人で判断するというよりは、リーダーが一人で判断して、みんなが着いて行くという形になります。その結果、リーダーが判断を誤れば、集団全体で飢えるということになります。日本人は、特に、この性を色濃く受け継いだ存在だと言えます。世界的に見ても、日本人ほど群れたがる民族はいないのです。だから、多くの国民は、着いて行くという立場に甘んじるため、自分で判断するということが自然と少なくなります。そのために、理解する(わかる)というレベルまで呑み込むということをしなくなり、結果として、知るということだけの詰め込みに陥ってしまっているのです。

 次に、理解して(わかって)いても実行できないことですが、これは身の回りに、非常に多いのではないのでしょうか。太っているのに止められない間食、百害あって一利なしと言われる煙草、糖尿病になっているのに絶てない酒、借金で首が回らないのに買ってしまうブランド品、所得が下がっているのに変えられない生活水準等々、たくさんあると思います。ダメだとわかっているのに、どうして止められないのでしょうか。止めたいと思っているのに、どうして止めないのでしょうか。関係ない人から見れば、不思議でなりません。

 例えば、間食を止めようと、ダイエットしようと、いつも一所懸命努力している人がいます。しかし、全く痩せていません。反対に、太っていることすらあります。確かに、本人は真面目に努力しているのでしょう。しかし、結果に現れて来ません。この光景を見た、痩せている人は、精神力が弱い、努力が足りない、やり方が間違っている等々、色々と批判をします。本人は、こっちの気も知らないでと怒りますが、実は、この批判、全てが正しいのです。痩せるなんて、簡単なことです。摂取カロリーを、消費カロリーより少なくすれば良いのです。そのためには、食べる量を減らすか、運動するしかないのです。ただ、それだけです。こんな簡単なことがどうしてできないのでしょうか。そこにはやはり、甘えがあると言わざるを得ません。甘えがあるから、精神的に負けてしまうのです。甘えがあるから、ちょっとしたことで努力したと思ってしまうのです。甘えがあるから、真剣に自分に適した方法を探さないのです。このように、自分や周囲の人たちに甘えているから、何もできないのです。甘えが許される環境で、知らず知らずのうちに真剣さは、奪われていくのです。そこで、まず、われわれ日本人は、今、非常に甘やかされた時代に生きていることを、自覚しなければなりません。デフレや不況だといっても、みんな車を乗り回し、海外旅行に出掛け、ブランド品を持ち歩いています。本当の厳しい時代というのは、こんなものではないことを知らなければなりません。このような環境ですから、自分の判断に、生死を賭けている人は、殆どいないでしょう。また、生死を意識して判断している人は、殆どいないでしょう。ですから、勝ち残るには、このことを真剣に意識して、実行しなければならないのです。そうすれば、わかっていても実行できないなんてことは、無くなるのに違いありません。

 このように、われわれは、学校でも、職場でも、生活の場でも、甘いシロップ漬けの社会の中で、真剣に判断したり、真剣にやろうとしたりすることを学ぶことができませんし、体験することができません。しかし、世界では、その真剣さの中で生きている人の方が、非常に多いのです。明日食べるものが無い、いつ殺されるかわからないという環境で、それこそ、生きようと思わなければ死が待っている環境で生きている人がたくさんいるのです。今の日本は、そのような恐怖に支配された環境はありません。ですから、今のわれわれの生活が、当然だと思って受け入れています。ところが、この環境が、未来永劫続くと、だれが保障してくれているのでしょうか。こんなことを書いても、ピンと来ないかもしれませんが、今、日本では、リストラされて自殺している人が、年間に1万人以上います。交通事故で死ぬより、はるかに多い人が、自ら命を絶っているのです。彼らは、まさか、自殺することになるとは思っていなかったでしょう。年功序列の会社社会の中にいれば、安泰だと思っていたのではないのでしょうか。ところが、世界の変化に日本が巻き込まれて、その安泰が簡単に崩れ去ってしまったのです。崩れることを考えていなかったから、いざ崩れてしまったときに、何もできなくなってしまったのです。自ら命を絶つことしかできなかったのです。もっと会社の中で、真剣に仕事に取り組んでいれば、リストラされることも無かったでしょうし、会社自体が倒れることも無かったはずです。彼らが、この真剣さの中で生きていれば、自ら命を絶つことも無かったのでないでしょうか。

 そこで、われわれが、その真剣さを学びたいと思っても、教えてくれる人がいないのですから、書物に頼らざるを得ません。そこで「孫子」がでてきたのです。人の行動で、最もシビアに判断しなければならないのは、戦争です。「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われるように、絶対に勝たなければならないものなのです。しかし、勝者がいれば、敗者もいるのが戦争です。誰も、最初から、負けるつもりで戦争することはないのです。その戦争で勝つための学問、つまり用兵学の大家が3000年前に書かれた「孫子」なのです。「孫子」は、戦争に勝つ為だけの物理的な手段を述べているだけではありません。戦争をするに当たっての、心理的な側面にも言及しています。戦争というシビアな世界で勝ち続けるための教書である「孫子」であれば、その真剣さを学びながら、株式投資の世界で応用できると考えたのです。


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