第五篇 兵勢
☆☆☆流れに沿って、自然に勝つための方法☆☆☆



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1.原 文

 孫子曰、凡治衆如治寡、分数是也、闘衆如闘寡、形名是也、三軍之衆、可使必受敵而無敗者、奇正是也、兵之所加、如以?投卵者、虚実是也。
 凡戦者、以正合、以奇勝、故善出奇者、無窮如天地、不竭如江河、終而復始、日月是也、死而復生、四時是也、聲不過五、五聲之変、不可勝聴也、色不過五、五色之変、不可勝観也、味不過五、五味之変、不可勝嘗也、戦勢、不過奇正、奇正之変、不可勝窮也、奇正相生、如循環之無端、孰能窮之。
 激水之疾、至於漂石者、勢也、鷙鳥之疾、至於毀折者、節也、是故善戦者、其勢険、其節短、勢如□弩、節如發機。
 乱生於治、怯生於勇、弱生於彊、治乱数也、勇怯勢也、彊弱形也。
 故善動敵者、形之、敵必従之、予之、敵必取之、以利動之、以卒待之。
 故善戦者、求之於勢、不責於人、故能擇人而任勢、任勢者、其戦人也、如轉木石、木石之性、安則静、危則動、方則止、圓則行、故善戦人之勢、如轉圓石於千仞之山者、勢也。


2.書き下し文
 
 孫子曰く、およそ衆を冶むること募を冶むるがごとくなるは、分数これなり。衆を闘わしむること寡を闘わしむるがごとくなるは、形名これなり。三軍の衆、必ず敵を受けて敗なからしむべきは、奇正これなり。兵の加うるところ、石をもって卵に投ずるがごとくなるは、虚実これなり。
 およそ戦う者は、正をもって合し、奇をもって勝つ。故に善く奇を出だす者は、窮まりなきこと天地のごとく、竭きざること江河のごとし。終わりてまた始まるは、日月これなり。死してまた生ずるは、四時これなり。声は五に過ぎざるも、五声の変は勝げて聴くべからず。色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観るべからず。味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗むべからず。戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべからず。奇正のあい生ずること、循環の端なきがごとし、孰かよくこれを窮めんや。
 激水の疾き、石を漂すに至るは勢なり。鷙鳥の撃ちて、毀折に至るは節なり。この故に善く戦う者は、その勢は険にしてその節は短なり。 勢は弩を弾くがごとく、節は機を発するがごとし。
 乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は数なり、勇怯は勢なり、 強弱は形なり。
 故に善く敵を動かす者は、これに形すれば、敵必ずこれに従い、 これを予れば、敵必ずこれを取る。利をもってこれを動かし、卒をもってこれを待つ。
 故に善く戦う者は、これを勢に求めて、人を責めず、故によく人を択びて勢に任ぜしむ。勢に任ずる者は、その人を戦わしむるや木石を転ずるがごとし。木石の性は、安なれば静かに、危なれば動き、方なれば止まり、円なれば行く。故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仞の山に転ずるがごとくなるは、勢なり。


3.訳 文

 孫武先生が言われている。
 「多くの将兵を指揮しているのに、少ない将兵を指揮しているように、整然と動かすことができるのは、組織編成(部隊を少数づつ分けて、ピラミッド型に組むこと)の問題である。多くの将兵を戦わせているのに、少ない将兵を戦わせるように、臨機応変に動かせるのは、指揮系統(目に見える信号や耳に聞こえる信号を整備すること)の問題である。全軍が、敵の攻撃を受けても、決して敗れることが無いのは、作戦立案(敵を正攻法で迎え撃ち、奇策で撃破すること)の問題である。攻撃したとき、卵に石をぶつけるように容易く撃破できるのは、目標選択(敵の防備している所を避けて、不備を攻撃すること)の問題である。

 そもそも戦いというものは、不敗の地という正攻法で迎え撃って、臨機応変な対処である奇策を用いて勝利するものである。だから上手に奇策を用いる者は、天や地にいるように追いつめられることはなく、その奇策は大河のように枯れることはない。終わっては始まるのは、月日のようなものであり、死してはまた生き返るのは、四季が訪れるようなものである。音は五段階(宮、商、角、徴、羽)に過ぎないが、その作り出す音を全て聞き尽くすことはできない。色は五色(青、赤、黄、白、黒)に過ぎないが、その作り出す色を全て見尽くすことはできない。味覚は5種類(酸、辛、?、甘、苦)に過ぎないが、その作り出す味を全て味わい尽くすことはできない。これらと同様に、戦勢(戦闘状況)は正攻法と奇策の2種類に過ぎないが、その作り出す勢の全てを極め尽くすことはできない。奇策は正攻法から生まれ、正攻法から奇策は生まれるのである。それはまるで、終わりの無い輪のように延々と続くのであって、どうやってこれを極められることが出来ようか。

 激しい水流が石をも押し流す力のことを、『勢』という。猛禽が骨をも打ち砕くタイミングのことを『節』という。名将は、『勢』を激しく、『節』を高めるのである。つまり、『勢』は弓を引くように強く、『節』は矢を放すように素早くするのである。

 ところで、敗戦要因である混乱は整然から生まれ、臆病は勇敢から生まれ、軟弱は頑強から生まれるのである。混乱か整然かは組織編成の問題である。臆病か勇敢かは、戦闘状況の問題である。軟弱か頑強かは、指揮系統の問題である。(つまり、敗れるかどうかは、戦う前から決まっているのである。)

 敵を思うが侭に動かせるという者は、敵にわざと隙を見せて、その計略にのせるのである。敵に何かを与えるふりをして、取りに来させるのである。敵に利益をちらつかせて、裏をかいてそれに当たるのである。

 名将は、勝利を戦いの流れに求めて人材に求めようとはしない。だから上手にその流れに任せて、人才を用いることができるのである。流れに任せるということは、兵士達を木や石を転がすような方法で用いるということである。木や石の性質というものは、平地では止まっているが、傾斜では動き出す。方形であれば止まっているが、球形であれば動き出す。だから名将が作り出す流れというものは、千仞の山から丸い石を転がすようなものである。これこそが真の『戦勢』である。」


4.内 容

 戦闘するにあたっては、正攻法で迎え撃ち、奇策を用いて打ち勝つものである。正攻法は奇策から生まれ、奇策は正攻法から生まれるものである。その戦闘の流れを『戦勢』というのである。その様は千変万化であって、誰も事前に予測したり、極めたりすることができない。しかし、その流れを自軍に有利なように変えることはできる。

 その方法は、敵に隙を見せたり、利益ちらつかせたりして誘うことである。このようにして敵の動きを支配することにより、戦いの流れも支配することができ、引いては勝敗も支配することができるのである。

 だから名将と呼ばれる人は、勝利を戦いの中の流れから掴み取っており、個々人の才能に期待するようなことはない。つまり、自軍に有利な戦いの流れの中で兵士達を鼓舞し、兵士達の戦いやすい状況に置いて、その全能力を発揮させるのである。名将と呼ばれる人の支配する戦いの流れは、千仞の谷に流れ込む水流のように激しく、圧倒的である。


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