第四篇 軍形
☆負けないために必要な態勢を作り上げる方法☆



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1.原 文

 孫子曰、昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝、不可勝在己、可勝在敵、故善戦者、能為不可勝、不能使敵之可勝、故曰、勝可知、而不可為、不可勝者、守也、可勝者、攻也、守則不足、攻則有餘、善守者、蔵於九地之下、善攻者、動於九天之上、故能自保而全勝也。
 見勝不過衆人之所知、非善之善者也、戦勝而天下曰善、非善之善者也、故挙秋毫不為多力、見日月不為明目、聞雷霆不為聴耳、古之所謂善戦者、勝於易勝者也、故善戦者之勝也、無奇勝、無智名、無勇功、故其戦勝不不者、其所措必勝、勝已敗者也、故善戦者、立於不敗之地、而不失敵之敗也、是故勝兵先勝而後求戦、敗兵先戦而後求勝。
 善用兵者、修道而保法、故能為勝敗之政。
 兵法、一曰度、二曰量、三曰数、四曰稱、五曰勝、地生度、度生量、量生数、数生稱、稱生勝、故勝兵若以鎰稱銖、敗兵若以鎰稱銖。
 勝者之戦民也、若決積水於千仞之谿者、形也。


2.書き下し文

 孫子曰く、昔の善く戦う者は、まず勝つべからざるをなして、もって敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは己れに在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、よく勝つべからざるをなすも、敵をして必ず勝つべからしむること能わず。故に曰く、勝は知るべくしてなすべからず、と。勝つべからざるは守ればなり。勝つべきは攻むればなり。守るはすなわら足らざれなり、攻むるはすなわち余りあればなり。善く守る者は九地の下に蔵れ、善く攻むる者は九天の上に動く。故によく自ら保ちて勝を全うするなり。
 勝を見ること衆人の知るところに過ぎざるは、善の善なる者にあらず。戦い勝ちて天下善というは、善の善なる者にあらず。故に秋亳を挙ぐるも多力となさず、日月を見るは明目となさず。雷霆を聞くは聡耳となさず。古のいわゆる善く戦う者は、勝ち易きに勝つ者なり。故に善く戦う者の勝つや、智名なく、勇功なし。故にその戦い勝ちてたがわず。たがわざるは、その措くところ必ず勝つ、すでに敗るる者に勝てばなり。故に善く戦う者は不敗の地に立ち、而して敵の敗を失わず。この故に勝兵はまず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵はまず戦いて而る後に勝を求む。
 善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故によく勝敗の政をなす。
 兵法は、一に曰く度、二に曰く量、三に曰く数、四に曰く称、五に曰く勝。地は度を生じ、度は量を生じ、量は数を生じ、数は称を生じ、称は勝を生ず。故に勝兵は鎰をもって銖を称るがごとく、敗兵は銖をもって鎰を称るがごとし。
 勝者の人を戦わしむるや、積水を千仞の谿に決するがごときは、形也。


3.訳 文

孫武先生が言われている。

 古の名将と言われる人達は、まず、敵軍がどんな攻撃を仕掛けても敗けないように自軍の態勢を整えて、どんなに拙い攻撃をしても勝てるような敵の間隙を待ったのである。何故なら、敗北するかどうかは自軍の問題であり、勝利するかどうかは敵軍の問題であるからである。だから、例え名将であっても、不敗の戦いをすることはできても、常勝の戦いをすることはできないのである。『勝利することはわかっていても、必ずそれを成し遂げられるかどうかは分からない。』と言われる所以である。敗北しないというのは防御に関することであり、勝利するというのは攻撃に関することである。だから不敗の名将と言われる人達は、地中深くに潜むように防御し、常勝の英雄と言われる人達は、空高く飛び回るように自由自在に攻撃するのである。だから、自軍の兵力を損耗させることなく、完全な勝利を収めることができるのである。

 勝機を掴むのに一般人でもわかる程度なら、誰も名将とは言わない。同様に、戦いに勝って世間から名将だと賞賛される程度なら、本当の意味での名将とは言えないのである。何故なら、細い毛を持ち上げられても力持ちと言われないし、太陽や月が見えても視力が良いとは言われないし、雷鳴が聞こえても耳が良いとは言われないのと同じである。(つまり、一般人が凄いと気付く程度なら、実際は凄くないのである。)昔の名将と呼ばれる人たちは、無理なく勝てるときに勝っているのである。だから名将の勝利には、奇策だとか、知略だとか、武勇だとかの手柄話が何もないのである。何故なら、戦って勝つのに間違いない状況で勝っているからである。間違いないということは、自身は必勝の態勢で臨んでいるので、敵は戦う前から敗北しているのである。だから名将というのは、自身は不敗の地に立ち、敵を必敗の地に立たせるのである。必勝の軍は先ず勝利してから敵と戦うのに対して、必敗の軍は戦ってから勝利を探すのである。

 名将と言われる人たちは、必ず軍の意識を一つに統一し、軍紀を厳守させるのである。だからこそ、勝敗を自由に決することができるのである。

 昔からの兵法には次のように述べられている。最初に『度(物差しで測る)』、次に『量(升目で量る)』、その次に『数(数え計る)』、そして『称(比べ計る)』、最後に『勝(勝率を諮る)』であると。まず戦場の地形から、広さや距離という『度』の問題を考えなければならない。そして、『度』の結果を受けて、投入すべき物資という『量』の問題を考えなければならない。それから、『量』の結果を受けて、動員すべき兵力という『数』の問題を考えなければならない。その上で、『数』の結果を受けて、敵軍と比較するという『称』の問題を考えなければならない。最後に、『称』の結果を受けて、勝敗という『勝』の問題を考えなければならない。だからこそ必勝の軍は、重い鎰で軽い銖と重さ比べをするように優勢であり、必敗の軍は、軽い銖で重い鎰と重さ比べをするよう劣勢なのである

 勝利者が民を戦わせようとする方法は、千仞の谷を切り崩して水を流すようなものであり、これが理想的な体勢なのである。」


4.内 容

 名将と言われる人達の戦い方は、まず負けないように自軍を固めた後、余裕があれば手薄な敵を攻撃して勝ったものである。負けないようにするということは、自分自身で防御を固めるということであり、勝てるようにするということは、敵自身が防御を手薄にするということである。ということは、負けないというのは自分自身の問題ということになり、勝つということは敵自身の問題ということになる。だからどんな名将であっても、必ず負けない戦いをすることはできるが、必ず勝つ戦いをすることはできないのである。

 真の名将と呼ばれる人は、その功績が決して表に現れることはない。何故ならその戦い方は、敵の間隙を突いて必ず勝てるときにしか攻撃しないからである。奇策、知略、武勇とかの伝説が残っていないのも、そのようなものが必要となる悪情況下に自軍をおかないからである。すなわち、真の名将の戦い方というのは、戦略レベルで戦う前から作戦レベルで勝っているのであり、戦術レベルで戦う前から戦略レベルで勝っているからである。

 そこで勝算の計り方であるが、それは次の5つの事柄を順番に分析すれば自ずとわかる。
  『度』〜 戦場の地形を分析すること。
  『量』〜 『度』の結果を受けて、投入すべき兵力を分析すること。
  『数』〜 『量』の結果を受けて、投入すべき兵士数を分析すること。
  『称』〜 『数』の結果を受けて、投入する味方兵力と敵兵力を比較し、分析すること。
  『勝』〜 『称』の結果を受けて、勝算を分析すること。

 以上の分析で勝算があれば、それは必勝の軍であり、水が高地から低地へ流れるような勢いで、敵に打ち勝つことができるのである。


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