戦 国 策
☆☆☆人の前で上手に話す方法を徹底追求☆☆☆



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秦 策
第22策 大望を成功させる方法

 あるとき、孝文王が、子楚に、詩を諳んじさせた。これに対して子楚は言った。

 「私は幼いときより他国に出されていましたので、詩については師事したことがありません。」

 孝文王は、子楚のことを憐れに思い、そのまま宮廷で育てることにした。 そしてある日、子楚は、孝文王の暇なときを見計らって言上した。

 「陛下は、かつて趙に立ち寄られました。その縁で、趙の有力者の中には、陛下を存じ上げている者も、少なくはありません。その者たちは、陛下がご帰国された後も、西の空を眺めては、陛下からの返礼を期待して、心を寄せていたと推察します。ところが、陛下は、今まで一度も、その者たちに返礼の使者を送られたことがございません。となると、それらの者は、陛下のことを怨んでいるかもしれません。出過ぎたこととは思いますが、ここは、趙との国境の警備を厚くされた方が良いのではないでしょうか。」

 「うん、確かにそうだ。警備を手厚くしよう。」

 と孝文王は言い、子楚を誉めた。この話を伝え聞いた華陽夫人は、今がチャンスだと思い、孝文王に子楚を太子にするように頼んだ。そこで、孝文王は、文武百官を呼び集めて言った。

 「わが子の中で、子楚に勝る者はいない。そこで、以後、子楚を太子とする。」

 と宣言した。やがて、孝文王は崩御し、子楚は王位に就き、荘襄王と称した。そして、華陽夫人は、華陽太后と呼ばれ、安寧に余生を暮らした。また、呂不偉は、宰相に取り立てられて、文信侯と呼ばれた。呂不偉の先物買いは大成功したのである。

 秦に戻った子楚を、無理やり孝文王に引き取らせることはしないで、孝文王が自発的に引き取りたいとの感情が出るように待ち、引き取られた後も、孝文王が太子にしたいと思い始める感情を待ったのである。つまり、大事を為すにはを、タイミングと待つということが必要なのである。


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