戦 国 策
☆☆☆人の前で上手に話す方法を徹底追求☆☆☆



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秦 策
第16策 寡兵で大軍を破る方法

 昭王は、王陵の援軍に白起を派遣しようと、再び白起を呼び出した。しかし、白起は、病気を口実にして、これを辞退した。そこで、宰相の范雎(はんしょ)を白起のもとに遣わした。

「楚は、領地五千里四方、兵力百万の大国です。それでも、貴公は、僅か数万の兵を率いて攻め入り、首都を占領して廟を焼き払いました。楚の奴らは、貴公を怖れて逃げ惑うばかりで、敢えて立ち向かおうとする者はいなかったと聞きます。
 また、韓、魏の連合軍との戦いでも、貴公は半数以下の兵力で、敵兵24万を殺すという大勝利を収めた。それ以後、韓、魏はわが国を怖れて、鳴りを潜めています。
 あれも、これも全て、貴公の功績であり、そのことは、わが国民であれば誰もが知っていることです。
 それなのに、貴公は、今回の出兵に応じて下さらない。趙は、先の戦いで兵力の7割方を失い、国力が弱まっている。更に、今回、わが国が動員する兵力は、趙を上回る規模です。寡兵で大軍を打ち破ってきた貴公をもってすれば、趙を破るなど造作も無いこと。それなのに、どうして負けると言われるのか。」


 これに対して、白起は答えた。

 「私が戦った当時の楚王は、大国を鼻にかけ、民政を疎かにしていました。その臣下も、手柄を立てた者や、有能な者が妬まれ、諂い者が重用され、忠臣が退けられていました。だから、当時の楚という国は、人民達に見捨てられ、城も荒れ、忠臣も居らず、守ることができなかったのです。
 私は、その虚に乗じて楚を蹂躙したに過ぎません。私は、軍営と食料を確保し、兵士たちを労わりつつ、戦ったから、わが軍の兵士たちは逃げずに戦い抜いたのです。反対に、楚の兵士たちは、逃げることばかりを考えて浮き足立っていたので、戦意がありませんでした。だから、寡兵でも勝てたのです。
 また、韓、魏の連合軍のときも、韓は自軍の損失を怖れて魏に頼りっきりになっており、魏は、なんとか韓を先陣にさせようと策謀していました。両国とも、他国ばかりを頼っていて、真面目に戦おうとしなかった。私は、その虚に乗じて、兵を一丸にして魏にぶつけたので勝てたのです。
 このように、両方の戦いは、敵の虚に乗じた結果のことであり、勝てて当然なのです。楚を滅ぼすには、実は、先の戦いのときが、その虚だったのです。しかし、陛下よりの撤退命令が出たために、みすみすその虚を取り逃がしたのです。」


 
「今から、その虚を衝けば良いではないか。」

 「それは無理です。先の敗戦により、趙は農耕に勤しみ、孤児を養い、国力の増強に努めて来ました。城を直し、堀を深くし、守りを固めて来ましたる趙王は家臣に、家臣は兵士を慈しむようになり、平原君に至っては、妻妾に兵士の服の綻びを直させているということです。今の趙は、越の勾践(こうせん)が、臥薪嘗胆の状況にあるのと同じことです。国の上から下までが、国を守ることに一致団結しているのです。これでは、虚が生じようがありません。だから、どれほどの大軍を擁しても、勝てないのです。」

 この話を聞いて、范雎は、それ以上何も言えなかった。そして、この旨を戻って昭王に復命した。すると昭王は、烈火の如く怒り、

 「今に見ておれ、白起に目にモノ見せてくれる。」

と予定の倍の援軍を送り出した。秦軍は、趙の首都を包囲するものの落とすところまでは行かず、かえって趙の反撃を食らった。

 戦いの勝敗は、兵力よりも、敵の虚を見つけることの方が大事です。このことを裏返せば、物事は、ちょっとした隙から失敗することが多いのです。会社でも、資金やサービスの品質だけで、勝敗が決まる訳ではありません。例え、資金やサービスの品質が勝っていても、驕りという虚があれば、勝てるものも勝てなくなります。


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