戦 国 策
☆☆☆人の前で上手に話す方法を徹底追求☆☆☆



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西 周 策
第1策 言い訳の方法

 昔、韓の当主が烈候(れつこう)だった頃の時代の話です。当時は、まだ秦が強大化する前であり、韓は強国の一つでした。それに対して、西周は、既に弱小国へと成り下がっていました。その頃のお話です。

 烈候の下では、保守勢力の代表者であり、叔父である韓傀(かんかい)と、改革勢力の代表者であり、衛出身の厳遂(げんすい)という者が、宰相の地位を争っていました。ある日、大激論の末、激昂した厳遂が、韓傀に切りかかるという事件が起きます。その場はなんとか周りの人の仲裁で治まりましたが、厳遂は、韓傀の仕返しを恐れて亡命しまいました。このとき、厳遂の右腕として活躍していたのが、陽竪(ようけん)という人物でした。

 その陽竪が亡命の途中に西周に立ち寄りました。韓と仲が悪い西周君は、陽竪を14日間も匿い、更に逃走用の馬車まで用意して、逃がしてやりました。この事実を知った韓傀は、家臣を使者に立てて、西周君を問責しにきました。西周君は、どのように言い訳をしようかと悩んでいると、友人の一人がこう言いました。
 「使者に会ったらこう言ってやりなさい。私は、厳遂が謀反を起こして、陽竪がその一味だということを知っていました。だからこそ、14日間も足止めをして、貴国からの命令を待っていたのです。しかし、わが国はあなた方もご承知の通りの小国です。いつまでも、陽竪を足止めすることなどは不可能です。それでもなんとか引き止めていたのですが、貴国からの命令はぜんぜん来ませんでした。だから、とうとう取り逃がしてしまったのです。」

 韓を怒らせれば、西周などはひとたまりもありません。だから、陽竪を庇ったことがバレると、西周は、韓に滅ぼされてしまいます。だから、14日間も庇ったことを足止めしたと言い、逃がしたことを逃げられたと言い、韓に見つからないように隠していたのを命令を待っていたと言う。責任の所在を、上手に転換しているところが、参考になります。


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