韓 非 列 伝
☆☆☆人と上手に付き合うための方法を徹底追求☆☆☆



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《韓非列伝》
 「韓非子」は、今から2000年以上前、つまり、日本がまだ縄文時代で、日本人がまだ竪穴式住居で生活していた時代に、中国の法家である韓非が書いたとされる書物です。

 当時の中国は、春秋戦国時代と呼ばれる戦乱の時代が最終段階となり、秦による天下統一がされる一歩手前という時代となっていました。戦国の七雄と呼ばれた魏、趙、韓、斉、燕、楚、秦の中で、秦の台頭が目覚しく、1対6という図式が出来上がっていたときでした。

 秦というのは、中国の東方、今でいう西安を首都とした国で、春秋時代に入った頃は、東方の一小国という扱いに過ぎませんでした。国力も、文化的にも劣っていた秦が、どうして天下統一をすることができたのか。それは、商鞅が、法治国家制度を秦に導入したからです。以来、秦は、出生に関わらず、能力だけを採用するという実力国家に変貌し、他国を圧倒したのです。

 韓非については、司馬遷が著した「史記」にも書かれています。韓非は、韓の王子の一人として誕生しました。ところが、母の身分が低かったために、跡継ぎとなることができず、他国で仕官しようとして、法家思想を学びました。韓非が成長した頃は、韓という国は、風前の灯火でした。というのも、四方のうち、三法を秦に囲まれていたからです。そこで、韓非は、父王に対して、富国強兵の方策が書かれた書物を自著して献上します。これが、現代にまで伝わる「韓非子」の原型となったものです。しかし、韓非の献言は、ただの一つも取り上げられませんでした。

 暫くして、何の因果か、韓非が父王のために書いた書物が、秦王、つまり、後の始皇帝の手に入ります。始皇帝は、この書物を読み大きな衝撃を受けました。始皇帝自身が目指していた政治を、そのやり方を、こと細かに書いてあったのです。始皇帝は、この書物の作者に会えたなら、死んでも構わないと嘆息しました。すると、側に控えていた宰相の李斯は、こう言います。
 「韓非は、韓の公子なのですから、韓を攻めて韓非を遣わすように脅迫すれば、簡単に会えるではありませんか。」
この李斯、実は韓非とは、机を並べて法家思想を学んだ間柄だったのです。始皇帝は、李斯の言うまま、韓を攻めて、韓非を派遣させるのに成功します。韓非と会った始皇帝は、感慨に耽り、韓非を宰相にしようと考え始めます。これを知った李斯は、まずい、と思い、「韓非は、韓の公子なので、秦のために働かず、韓のために働きますぞ。」と讒言し、韓非を牢屋に入れるのに成功します。更に李斯は、始皇帝の気が変わって許されるのを恐れて、牢屋にいる韓非に毒を渡して、自殺することを勧めます。友人として、最後の友情の証だと言って、韓非に毒を渡すのです。李斯を信じていた韓非は、その毒を飲んで夜のうちに自殺してしまいます。次の日の朝、始皇帝は、韓非を許そうと思いましたが、李斯の一手の方が早く、韓非は、もう、この世にいませんでした。


《「韓非子」の人材管理術》
 諸子百家の一つである、法家の中心となる書物が、「韓非子」です。みなさんには、余り馴染みがない本ではないでしょうか。どうして馴染みが無いのか、それは、漢代以降、中国の国教は儒学と決まり、儒学を目の仇にした法家は、歴史の表舞台から排斥されてしまったからです。しかし、それなのに、どうして現代まで「韓非子」は、伝わっているのでしょうか。3000年という時間が流れているのです。長い間排斥され続けたのですから、歴史の中に埋もれてしまっても仕方が無いと思います。しかし、現代に生きる我々が読むことができます。それは、やはり、排斥されても、大事に伝承されてきたからでしょう。

 「韓非子」は、その本の中で、徹底的に儒家を攻撃しています。儒家こそ、国を乱す源だと、根絶やしを勧めています。現に、「韓非子」の信奉者だった秦の始皇帝は、歴史上有名な「焚書坑儒」を行い、徹底的に弾圧しました。ところが、「韓非子」を保護した秦帝国はたった三代で滅んでしまい、劉邦の漢帝国が取って代わるのですが、漢帝国は、儒教を国教として保護します。そして「韓非子」を中心とした法家思想は、悪辣な秦の加担者として、人民の怨嗟の的となり、歴史の表舞台から消されてしまいます。特に「韓非子」は、背徳の書などと呼ばれ、忌み嫌われるようになります。

 しかし、当時から為政者達は、儒教で国は治められないということを知っていました。国を治めるには、儒家ではなく、法家が必要なことを知っていました。だから、「韓非子」は、人民に知られず、為政者達の治世のバイブルとして、脈々とその命運を保つことができたのです。

 「韓非子」に書かれていること、それは、徹底した客観主義と悲観主義です。人が持つ、こうありたい、こうなって欲しいという楽観の全てを排除した上で、最悪の事象を考えて行動するように説きます。それは、荀子から始まる「性悪説」の流れを汲んだ、徹底的な現実主義から来ているものと考えられます。だからこそ、理想主義で凝り固まっている儒家を敵視し、儒教を徹底的に弾圧しようとするのです。実利の無い儒教など、国を乱す源であり、それを伝える書物は燃やし、儒学者は生き埋めにしなければならない、ということで「焚書坑儒」が行われたのです。歴史上有名な「焚書坑儒」の裏に、「韓非子」という書物があったことを、どれだけの人たちが知っているでしょうか。

 しかし、私は、「韓非子」を背徳の書とは思っていません。「韓非子」は、人の善意を徹底的に否定しますが、その否定の矛先は善意そのものではないからです。「韓非子」が否定する善意、それは他人に善意を期待することです。「自分はこれだけのことをしたのだから、あなたにはそれだけのことをしてもらってもいい。」という自分勝手な期待をすることを否定しているのです。「韓非子」は、他人の善意を当てにする者が悪い、と言います。他人の気分は移ろい易いもので、それに期待する方が間違っていると言います。他人に対する期待は、失望に代わり、やがて憎悪となる。「韓非子」はこのことを言いたいのです。もし、人にしてもらいたいことがあれば、それを自発的な善意に期待するのではなく、そうしなければならない状況に追い込めば良い、というのが「韓非子」の考えです。みなさんも、友人に憎悪の感情を向けないためにも、「韓非子」の知恵に触れてみてはどうですか??


項 目
内    容
第1篇 初見秦  韓非が始めて秦王(後の始皇帝)に会ったときの言葉とされる篇。戦国策中の張儀の言と似ており、後代の者による付加と考えられる。
第2篇 存韓  韓非が秦に対して、韓ではなく趙を攻撃するよう進言したときの言葉とされる篇。後代の者による付加と考えられる。
第3篇 難言  第12篇説難と重なる篇。内容的には説難におよばず、後代の者による付加と考えられる。
第4篇 愛臣  重臣が巨大化すると、主君の地位を脅かす勢力になるということを論じている篇。第17篇備内等の内容をまとめ直した構成となっている。後代の者による付加と考えられる。
第5篇 主道  君主の守るべき道義を論じている篇。道家思想の影響が深く、道法混合思想から発展したものとなっている。
第6篇 有度  臣下に法を守らせることの必要性を論じている篇。管子に同様の内容があり、後代の者による付加と考えられる。
第7篇 二柄  君主が独占すべき2つの権力について論じられている篇。刑と徳により臣下を統率する必要性を述べ、1つでも手放したときの危険性を具体的に述べられている。
第8篇 揚権  君主の心掛けを論じている篇。内容的には主道篇と類似しているが、細部が韓非の主張と異なっている。後代の者による付加と考えられる。
第9篇 八姦  臣下が君主の権力を侵害する8つの方法について論じられている篇。その対処策も述べられている。
第10篇 十過  君主が注意すべき10つの過ちについて論じられている篇。その内容が箇条書きにより論じられている。
第11篇 孤憤  法家が世に受け入れられない訳を論じている篇。韓非自身の嘆きでもある。権力に群がる重臣達を批判し、法家自身の才能を発揮させるべき環境が必要としている。
第12篇 説難  君主に対する進言の難しさを論じている篇。君主の心の機微を把握し、状況に応じた進言の必要性が述べられている。韓非自身の作とされている。
第13篇 和氏  法家思想が一般に受け入れられ難いことを『和氏の璧』を例として述べられている篇。法家こそが国家にとって有効であるのに、受け入れられない現状を悲嘆する。
第14篇 姦劫弑臣  君主を害しようとする重臣について述べられている篇。それを防御するには、法家思想による統治が一番と説く。
第15篇 亡徴  国が滅びる徴候について述べられている篇。その徴候を47つ挙げ、具体的に説明している。
第16篇 三守  君主の厳守すべき3つの事柄について論じられている篇。これが厳守できないと、臣下に下剋上されるとする。
第17篇 備内  身内に用心することを論じている篇。敵は外だけでなく、身内にも存在するということ。
第18篇 南面  君主が国政レベルですべきことを論じている篇。法家思想による臣下の統制および旧来の悪習の廃止を主軸としている。
第19篇 飾邪  占いや迷信などに頼らないことを主張する篇。
第20篇 解老  法家の立場で老子の内容を解説する篇。老子の解説としては、最古のものとされる。
第21篇 喩老  老子の文句を比喩的に解釈する篇。内容的には漢代と思われ、後代の者による付加と考えられる。
第22篇 説林  説林とは説話集のことであり、弁舌に役立つ説話を集めた篇。内容、配列に特別な意図は見られない。上下併せて、約70篇の説話が収納されている。我々が読むには大変面白く、韓非子が難しいと思う方には、ここから読まれるのが良い。
第23篇 説林
第24篇 観行  個々の観察に基づくケースバイケースによる対応の限界を論ずる篇。立法による画一的な運用を主張する。後代の者の付加と考えられる。
第25篇 安危  国の安泰と危険について論ぜられる篇。安泰への道7種と危険への道6種が述べられている。
第26篇 守道  国家を安泰に導く方法について論ずる篇。その為に、法令や賞罰を客観的に適用することが重要だと述べている。
第27篇 用人  君主が人材を如何に用いるかということを論ずる篇。君主の主観による人材の登用を排し、客観的な見地から行うべきことを述べている。
第28篇 功名  君主が大業を成し遂げ、名声を得るための方法を論ずる篇。君臣間の協調を重視している。
第29篇 大体  国政の要点を論ずる篇。君主が行うべき国政のあり方について、法術、刑罰に重点をおいている。
第30篇 内儲説  君主が行うべき7つの施策に対して、説明資料としての説話を収納した篇。7つの主題によって整理され、法家主義の要点が述べられている。
第31篇 内儲説
第32篇 外儲説左上  君主に対する説明資料としての説話を収納している篇。内儲説に対する意味で外儲説となっている。上下左右に分類されているが、その分類については、余り意味が感じられない。
第33篇 外儲説左下
第34篇 外儲説右上
第35篇 外儲説右下
第36篇 難一  社会的に是とされている事柄に対して、違った見地から非を唱える篇。歴史的故事等を例示し、それに対して異なった見方を与えている。
第37篇 難二
第38篇 難三
第39篇 難四
第40篇 難勢  権勢によって国家を統治することの重要性を論ずる篇。勢とは法術のことであり、韓非子の主張の中心概念である。
第41篇 問弁  国家を崩壊させる弁論が出現する理由を解説する篇。君主が無能で、法令が整備されていないから、弁論が蔓延るとしている。
第42篇 問田  問答形式の文体からなる篇。内容的に見るべきものはない。後代の者の付加と考えられる。
第43篇 定法  法の定め方について論じている篇。法と術があってこそ、始めて法は安定的に運用されるのである。
第44篇 説疑  有益に見えて、実は有害となるものを論ずる篇。評判による人材登用の弊害を指摘し、臣下の登用に注意すべきことを述べている。
第45篇 詭使  現実の政治を嘆く篇。余りに法家思想とかけ離れた現実政治を嘆いている。
第46篇 六反  非難と賞賛の矛盾を論ずる篇。世間では、国家のために有益な6種の民が非難され、有害な6種の民が賞賛されている。これに対する矛盾を述べている。
第47篇 八説  世間で賞賛される8種の民が、実は有害であると論ずる篇。弁舌、慈愛を批判し、法術の重要性を強調する。
第48篇 八経  君主が注意すべき原則が論じられている篇。
第49篇 五蠹  国家を破滅に導く5種の人間について論ずる篇。儒家、墨家を批判し、法家の重要性を述べている。
第50篇 顕学  儒家と墨家に対する痛烈な批判を展開する篇。法術家としての中心思想が読み取れ、韓非の思想がよく理解できる一篇である。
第51篇 忠孝  世に聖人とされている人々を国家騒乱の元凶と位置付けた篇。八道を批判し、法術が第一だと述べている。後代の者による付加と考えられる。
第52篇 人主  君主としてすべきことを論ずる篇。重臣の勢力を排除して、法家を登用するよう述べている。後代の者による付加と考えられる。
第53篇 飭令  法整備が国家安泰の鍵と論ずる篇。商子の一部を抜粋した感がある。後代の者による付加と考えられる。
第54篇 心度  法を厳格に適用することにより、人民に節度を与えることを論じた篇。人民を愛するからこそ法を厳格に適用し、犯罪を未然に防ぐのだという。
第55篇 制分  賞罰の区分について論じた篇。賞罰は、功罪と釣り合うことが必要であり、それ以上に区分も必要であるということを説く。

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