韓子(韓非子)
☆☆☆人と上手に付き合うための方法を徹底追求☆☆☆



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第10篇 十過
第3節 勝手気ままな行動をすること

 『自分の欲に沿った勝手気侭な行動をし、諸侯に無礼を働くこと。』とはどういうことか。

 昔、楚の霊王が、申の地で会盟を開いたときのことです。

 霊王という人は、兄の子を殺して王位を奪った人であり、楚の歴代の王の中で、最も悪逆非道の王として、歴史に名を残している人です。

 その霊王は、自国の軍事力を背景にして、会盟に遅れて来た宋の太子を捕えて牢に入れたり、徐の君主を諸侯の集まっている中で罵倒したり、斉の重臣であった慶封を拘束したり、と勝手気ままなことをしました。側近の者達は、このままでは楚の一大事と考え、霊王を諌めます。

 「その昔、夏の□王(けつおう)は、有戎(ゆうじゅう)で会盟を開いてから、有緡(ゆうびん)に背かれるようになりました。、殷王朝の紂王(ちゅうおう)は、黎丘(れいきゅう)で軍事演習をしてから、戎狄(じゅうてき)に叛かれるようになりました。それもこれも、諸侯を集めたときに、諸侯に対して無礼をはたらいたからです。このままでは、遠からず楚は滅亡の危機に瀕します。どうかご自重下さい。」

 しかし霊王は、諫言を無視して勝手気侭な振る舞いを続けます。それを見ていた側近達は、霊王の振舞いが諸侯の怒りや反感をかっているのを、恐怖の面持ちで見て見ぬふりをします。

 それから1年も経たない頃、霊王は南方に旅行へ出かけます。そして、その間隙をついて、群臣達は謀叛を起こし、霊王を排して王子を国王にまつりあげました。そして霊王に対しては、帰国すれば殺すといって脅して、帰国できないようにします。こうなると、悪逆非道の霊王ですから、旅行に従っていた家臣たちにも見放され、たった一人で山中に置き去りにされてしまいます。そして帰国することもできずに、とうとう乾渓の地で餓死してしまうのです。

 霊王が臣下に叛かれた上、餓死したのはどうしてだろうか。それは、臣下の諫言を聞き入れず、勝手気侭な振る舞いをして諸侯の怒りをかい、諸侯からの仕返しを臣下が恐れたからである。だから、『自分の欲に沿った勝手気侭な行動をし、諸侯に無礼を働いてはならない。』と言うのである。

 自分に力がある人ほど、人に対して遜るものです。それは、相手にとっては、普通にしていても威圧されたと感じるからです。人に与えた恐怖心は、やがて憎悪に変わり、最終的には寝首をかかれると事態になります。自分が、優位であればあるほど、その地位を守るために、相手に対して遜ることを忘れてはいけません。
 



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